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競馬おやじ廃止競馬場をめぐる
 三条
 かみのやま
 宇都宮
 足利
 岩見沢
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競馬おやじ 最近の戦績
2009/1/18 2009/1/25 2009/1/31 2009/2/1 2009/2/7 2009/2/8
中山12戦0勝
京都4戦0勝
中京3戦0勝
中山8戦1勝
京都4戦0勝
中京3戦0勝
東京7戦0勝
京都7戦1勝
東京12戦0勝
京都12戦0勝
東京12戦1勝
京都12戦1勝

小倉11戦1勝
東京12戦0勝
京都12戦0勝

小倉11戦1勝
大負け 勝利 勝利 大負け とんとん 大負け




競馬おやじ廃止競馬場をめぐる

一時期、暇があると全国の競馬場を廻っていた。次々と改装して新しくなっていくJRAの施設もいいのだけど、昔ながらの地方競馬場には地元色やら懐かしさやら哀愁やら、いろんなものが入り混じってわくわくさせてくれる。
そんな地方競馬も業績不振から次々と廃止されていく。「待て」と言っても、いちはずれ馬券おやじが叫んだところで誰が聞いてくれるわけではない。おかげで私が行ったことの無い競馬場はあと4つだけになってしまった。本来なら「日本全国競馬場ではずれ馬券を買う伝説」達成のために、あと4つくらい行くべきなのだが廃止競馬場の方に行ってみることにした。ほとんどの施設は場外馬券場になっているので、馬券も買える。興味が沸いてきたのだ。



三条競馬場跡に行く 2008年5月8日(木)


三条競馬場の略歴
1928年(S2) 新潟県畜産組合連合主催三条競馬開催
1948年(S23) 主催が自治体(新潟県と新潟市など3市)に
1949年(S24) 新潟競馬場(関屋)開催開始 2場体制に
1965年(S40) 主催が新潟県競馬組合へ
1970年(S45) 三条競馬場スタンド改修
2001年(H13) 三条競馬開催終了
2002年(H14) 新潟県競馬組合解散 競馬場廃止


三条競馬場入口
 三条競馬場(場外馬券売場)入口

三条に来た。

2002年に解散した新潟県競馬組合は、三条競馬場と新潟競馬場を使用して競馬を開催していた。三条競馬の最後の開催は2001年8月。翌年1月、新潟競馬場の開催をもって新潟県から地方競馬が消えた。最終日は降雪のため第2レースで打ち切りとなる寂しい最期だった。
騎手の半数以上は他地区に移籍したが、現役を続けているのは向山牧(笠松)や山田信大(船橋)など、数少ない。南関東で活躍中の酒井忍(川崎)も、廃止前に移籍したが、新潟デビューだ。

競走馬もかなりの数が他地区に移籍したようで、南関東では新潟からの移籍馬がかなりの勝ち星を集めたように記憶している。賞金の関係から格付が低くなってしまうこともあるが、新潟所属馬のレベルはそれほど低いものでは無かった。

三条競馬場のコースは右回りダート1000メートル。競馬法(施行令)で「長さが一周千メートル以上」なければ開催できないとあるので、ぎりぎり基準を満たせる設計だ。


「現役時代」の三条には来たことが無かったので、ネットで場所を調べて燕三条駅から歩いた。新幹線ではなく弥彦線を使ったのだが、なんと在来線の燕三条は無人駅だ。新幹線が止まるのに無人とはどうなっとるのだ。

入口には「大井競馬三条場外発売所」という看板がある。東京都競馬組合の施設として南関東の場外発売所になっている。この日は船橋競馬を発売していた。売上げの1%が三条市に入るらしい。
ダートコースの跡はまだ残っていたが、砂は無かった。2004年の水害で出たゴミを堆積する場所として一時的に使われたということなので、そのときに取り払ったのか、それとも流れてしまったのか。
コースを歩いているご老人が居る。見た目からは関係者とは思えない。県道側からも入れるのだが、向こうにあるのは畑と信濃川だ。どこかに行くための近道なのか。もしくはただの散歩にも見える。

内馬場はもともと農地で、解散前の新潟競馬組合が公園化するということで買い取っている。三条市がそれを引き継いでいるはずなので、ここは市の所有物ということになる。 2009年の新潟国体で馬術会場としての使用が予定されており、それまでに何か手が入るのか。少なくとも今は荒地に近い。競馬好きおやじとしては、開催は無理にしても「三条競馬メモリアルパーク」みたいになってもらえば嬉しいのだが、カネがかかることなので勝手なことも言えない。


場外馬券売り場は1階にある。コース側から見ると地下にも見えるが、一応1階としておく。それより上の階もスタンドも閉鎖されていた。
スタンドの観覧席はコンクリートの塀で固定されている。「危険 この上は立入禁止 三条場外発売所」とある。スタンド裏側も立ち入り禁止のようだ。

売り場に下りると10台の自動販売機と20ほどの窓口があった。平日の午前中だったからか窓口は2つしか開いていない。スペースはさほど広くないが、馬券師たちの姿もまばらなので狭苦しさはない。
中は普通の場外馬券売り場だ。南関東や地方競馬の「ダービーウイーク」のポスターやらがある。20インチくらいのモニターにはオッズやパドックの映像が流れている。
なるほど。
ここは南関東の場外発売所であって、三条競馬場とは別の世界なのだ。

奥の方にお茶のサービスとパンやお菓子、飲み物などの売店があった。近くに飲み物の自販機があったので、コーヒーを買って飲んだ。購入した勝ち馬投票券がいつものようにはずれ馬券に変わるのを画面で確認すると、施設を出た。

ゴールデンウイーク中は混雑していたのだろうか。新潟県競馬組合の解散前には、この時期にJRAとの交流競走が大々的に行われていた。中央の開催日までずらしている。それでも廃止に追い込まれてしまった原因は私にはわからないが、競馬を愛するおやじとしては場外といえども繁盛してほしい。できれば「三条競馬メモリアルパーク」に隣接する場外として、付近の方の憩いの場になってくれれば良いのだが。

三条競馬場の場所
場外馬券売り場(三条)
 売り場の様子
コースから見たスタンド
 1コーナーからスタンドを見る
三条競馬場前のバス停
バス停 「三条競馬場」のままだ
閉鎖されているスタンド
 コンクリートで固められた観覧席





かみのやま競馬場跡に行く 2008年5月9日(金)


かみのやま競馬場の略歴
1958年(S33) 最初の市営競馬開催
1971年(S46) スタンド改築
1991年(H3) 場外発売所(ニュートラック)開業
2003年(H15) 廃止

かみのやま競馬場の場所 新潟から山形県上山市に向かう。
かみのやま温泉駅の先に茂吉記念館という無人駅(また無人駅だ)があって、かみのやま競馬場はここから歩いて10分ほどのところにある。

コースは右回りダート1050m。山形県上山市が運営しており、2003年11月の開催を最期に廃止となった。最終日には小雨の降る中、平日にもかかわらず4千人近くの人が訪れた。最終レース(樹氷賞)のファンファーレが鳴ると大きな拍手が起こり、ゴールまで鳴り止まなかったという。一方、セレモニーで挨拶した上山市長には大罵倒と帰れコールが起こったそうで、この模様は地元の新聞やテレビで報道されたらしい。

廃止の背景には業績悪化があった。この年度で赤字を重ねれば上山市は財政再建団体となる可能性がある。今で言えば夕張市のようになる可能性があったということだ。市はシーズンの赤字が3億円を超えれば廃止と宣言し、結果的に3億円を超えた。

中央で活躍していたツインターボの移籍先として話題になった競馬場でもある。温泉も近く、スタンドから見える景色も良い、交通の便も悪くはない。今にしても廃止が惜しまれる。
移籍して活躍中のジョッキーには、小国博行(北海道)、前野幸一(金沢)、関本淳(岩手)などがいる。

かみのやま競馬の廃止により、東北地区の地方競馬は岩手県競馬のみとなった。同時に新潟を含めて3地区交流として行われてきた東北優駿や東北サラブレッド大賞典などの歴史ある交流重賞も姿を消した。


競馬場跡地は現在「ニュートラックかみのやま」として南関東と岩手県競馬の馬券を発売している。ニュートラックというのは岩手のテレトラックやJRAのWINSみたいな場外馬券場の愛称だ。

入口のゲートをくぐるとスタンドもコースも健在。何ビジョンいうのかわからないが大型スクリーンまである。
しかし、売り場がどこにあるのか。コース前から裏手のメシ屋があった場所や、1階の場内まで全部駐車場になっている。人を集めるためには駐車場を確保するべきで、さすがとか考えながら迷っていると「3階にて発売しています」という看板があった。早速3階へ。

売り場にはわりと人が居た。モニターも多い上に3連単用の大きいのまである。私には関係無いが来賓室もあった。
三条の場外とはかなり違う。決定的なのは売り場の正面にコースがあることだ。すべての椅子が内馬場上に据えられた大型モニターの方向を向いている。これは競馬場の雰囲気だ。しかも売り場の裏手や発売していない2階のスペースも開放している。人が居ないところで馬券検討をしたければ退避できる。


競馬おやじである私は、本能的に外の観覧用コンクリートの椅子的なところへ。すると背の高い初老と思われるおやじが話しかけてきた。
「何から買ったんだい」という。「9から」と答えると「1は買わなかったのか」とすぐさま質問してきた。

今日は船橋開催で、1は的場文男騎乗の1番人気馬だ。おおよそこの手のおやじは自慢とはずれ馬券の話を繰り返すものだが、この人は違うっぽい。
「的場は大井でしょ」と私。すると長身おやじは「そうかもしらねえけど、こないだ船橋の大きいレースで穴出したじゃないか」と切り返してきた。「かしわ記念ですか?」というと「そうそうそう」とうなづく。

レースは江川伸幸騎乗の9番馬が1着で来た。「取っただろ」といわれたが、いつもの通りはずれだ。
「今日は勝ってないやつに勝たせる日だ」と長身おやじが言う。
江川騎手は若手で確かに勝利数は少ない。しかし、この長身おやじ、常連だ。岩手が地元になるが、南関東も浸透している。


今すぐにでも開催できそうな競馬場は今後どうなるのだろうか。帰ってからネットを調べてみると、2008年4月18日付の山形新聞に「競馬の大型スクリーン撤去へ/上山・場外発売所利用者向け」という記事があった。老朽化が進んでいるためだそうで、さらに跡地の売却も進めているらしい。競馬の開催権を返上してしまっているのでコースを残す意味はないのだろうが、寂しい限りである。
ニュートラックかみのやま(看板)
競馬場(跡)入口の看板
かみのやま大型ビジョン
 スタンドからコースを見る
かみのやま場外入口
 入口 現役の競馬場のよう
かみのやま場外3階売場
 3階売場 賑わっている
「3階で発売」の看板
「3階で発売しています」の案内
2階で売ることもあるのか?




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宇都宮競馬場跡に行く 2008年7月19日(土)


宇都宮競馬場の略歴
1933年(S8) 栃木県馬匹畜産組合連合主催宇都宮競馬開催
1948年(S23) 主催が栃木県に
1964年(S39) 宇都宮市主催の競馬実施
2001年(H13) 宇都宮市主催競馬終了
2005年(H17) 栃木県主催競馬終了 競馬場廃止
宇都宮競馬場スタンド
2008年7月現在のスタンド
宇都宮競馬場の場所
宇都宮競馬場入口
閉鎖された入口
電車を乗り継いで東武線の西川田駅で降りる。ここから宇都宮競馬場までは徒歩10分くらいだ。

宇都宮競馬では栃木県と宇都宮市主催の競馬が行われており、それぞれ2005年と2001年に開催を終了した。終了後もしばらくは南関東などの場外発売所として使用されていたが、現在は完全に閉鎖されている。

県競馬は1998年から単年度赤字となった。2005年度までの3年間で黒字化が達成できない場合、もしくはそれまでの利益による積立金を赤字で食いつぶす場合廃止と、県競馬検討委員会から提言が出されたのが2002年。その後も入場者数、馬券の売上げの減少は続き、黒字化は不可能として、2005年3月14日の開催を最後に廃止された。
市営競馬は年間2回のみの開催であったが、1992年から赤字が続き、これを税金で補填する状況から「市民の理解を得られない」として廃止に至った。

北関東地区は他にも高崎、足利で競馬が開催されていたが、南関東と比較すると、それぞれが連携することはほとんど無いに等しかった。2000年代に入ると売上減少の危機感からか、北関東HOT競馬と称し、交流戦や馬券の相互発売を開始する。しかしこれも決定打とはならず、2003年に足利、2004年に高崎が終了、宇都宮競馬の廃止により北関東の競馬は消滅した。


競馬場の施設はまだそのまま残っていた。入口もスタンドも監視塔も健在だ。サッカースタジアムにしようという動きもあるらしいが、まだ決定していないらしい。

柵があって中にはは入れないので、周りを歩いてみる。
「馬に注意」という内容の表示がそこいらにある。厩舎が競馬場の外にあるので、レースや調教のために馬が公道を引かれてやってきたそうだ。10年以上前だが、宇都宮三冠馬カネユタカオーが交通事故で死亡した。馬が公道を歩くなんてのどかに思えるけれど、危険もあったのだ。


監視塔がなぜか競馬場の外側に立っている。いやに大きくて威圧感がある。見つめているのは廃止されたトラックだ。
向こう上面あたりから土手っぽいところに登って背伸びするとスタンドとコースが見える。雑草が生えているものの、整備すればレースができそうな雰囲気がある。



30分ほどで一周してもとの場所に来た。

廃止から3年と少し。ミスターピンクク内田利雄騎手はマカオや韓国まで拠点として活躍しており、山口竜一騎手は北海道競馬でリーディング争いを続けている、仁岸進調教師のように廃止後シンガポールに渡って開業したガッツのある方もここにいた。

宇都宮競馬場最後のレース「とちぎ大賞典」に勝利したフジエスミリオーネは、歴代唯一の北関東3冠馬であり、福山で現役を続けている。
交流戦の常連ベラミロードや、戦後のサラブレッド最多勝利記録を持つブライアンズロマンは宇都宮競馬の代表的な活躍馬だ。

そんな名手や名伯楽たちが名馬たちと活躍したこの競馬場も、いつかは解体されてしまうのだ。
80年近くも続いた歴史は、どこで語り継がれていくのだろう、などと思いながら西川田駅に向かった。
宇都宮競馬場前バス停
 金網の向こうにあるバス停
「馬がとおります」の表示
注意書きはあるが馬は通らない
パドック付近
道路から見えるオッズボードとスタンド
馬具店
馬具店 もう営業していないようだ

監視塔
現役のように堂々と構える監視塔





足利競馬場跡に行く 2008年7月19日(土)


足利競馬場の略歴
1948年(S23) 渡良瀬川河川敷に足利競馬場完成 県営競馬開催
1950年(S25) 足利市営競馬開催(市営単独開催に)
1969年(S44) 競馬場が上流に移転
2003年(H15) 足利競馬最終開催 競馬場廃止
2006年(H18) スタンド解体


上山競馬場の場所 3コーナーからゴール方面
(A) 3コーナーからゴール方面 工事は進んでいる
4コーナー跡
(B) 4コーナー付近 曲線が競馬場跡っぽい
スタンド裏手からゴール方面
(C) スタンド裏手(1角側)からゴール方面

足利競馬場のあった場所に来た。
競馬場跡と思われるところに来ると、すでにスタンドは無く、子供たちの絵が並んだフェンスの上に「足利赤十字病院」の看板があった。


足利競馬場では県営競馬は開催されておらず、廃止前は年8回の市営競馬のみが行われていた。

足利市は台風被害復興のため1950年から市営競馬を開催する。しかし1996年から赤字経営が続き、2002年11月に同年度中の廃止が決定された。赤字累計額は約19億円にのぼったという。
開催最終日は2003年3月3日、第33回足利記念が最後の競走であった。

サラブレッドの平地最多連勝記録を持つドージマファイターは足利競馬に所属していた。中央未勝利から移籍して記録を達成した足利の英雄だ。
足利競馬場所属ジョッキーで現役を続けているのは、船橋の森泰斗、浦和の加藤和博など数少ない。加藤騎手は高崎の加藤和宏(現金沢競馬調教師)とは別人であり、JRAにも加藤和宏騎手が居たので、交流戦では新聞やアナウンサーは苦労しただろう。

廃止後の競馬場は宇都宮競馬のトレセンおよび場外発売所として利用されたが、2005年、栃木県競馬の廃止とともに、その役目を終えた。

足利市によると、跡地は赤十字病院の移転用地として使用するほか、公園の整備用地、高等教育機関の誘致予定地として利用するのだという。


病院の看板があった場所から少し歩くとフェンスはなくなり、広大な空き地が見えた。スタンドはすべて解体され、コースがどこのあったのかもわからない。わずかに楕円形の形から競馬場跡であることが分かる。

はるばる宇都宮、足利と来たけれど、はずれ馬券を買うこともできないので立ち去るしかないか、と思いながらフェンスに飾られた子供たちの絵をもう一度見た。
平成17年とあるので、西暦2005年、栃木県競馬が終了した年だ。競馬場の跡地なのに競走馬の絵はどこにも無い。
はずれ馬券も歓声の上がるスタンドも、その面影すらもここからは消えていくのだ。

足利赤十字病院建設予定の看板
(D) 赤十字病院建設予定の看板
競馬場前バス停
バス停 もうすぐ名前が変わるのか
子供たちの絵
(D) 子供たちの絵 馬の絵は無い



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岩見沢競馬場に行く 2008年8月21日(木)


岩見沢競馬場の略歴
1890年(M23) 鳩が丘において祭典奉納競馬(ばんえい)開催
1927年(S2) 空知地区の競馬場を岩見沢に集約 畜産組合主催に
1947年(S22) 戦後の平地・ばんえい競馬再開
1965年(S40) 競馬場日の出町(現在地)に移転
1966年(S41) 平地は道営、ばんえいは市営に整理
1997年(H9) 道営競馬(平地)の開催終了
2006年(H18) 市営競馬(ばんえい)開催終了


競馬場入口
 競馬場入口 このまま朽ちていくのか 

北海道で初めて競馬が行われたのは1872年(明治5年)だそうだ。1878年には、すでに札幌に円形の馬場があったらしい。
道内では開拓のはじめから、足として、開墾や輸送の労力として馬が居た。さまざまな土地で祭典競馬が行われ、一部は公認競馬を経て中央競馬に、そして多くは地方競馬であるホッカイドウ競馬や、ばんえい競馬へと発展してきた。

岩見沢では1890年に現在の市役所付近に競馬場ができ、祭典競馬が行われた。その後、法律で競馬場は支庁一ヶ所と定められたことから、空知の競馬はここに集約され、岩見沢は競馬の町となった。


平地競馬のホッカイドウ競馬は札幌、旭川のほか、岩見沢、帯広、函館でレースを行っていた。1985年に門別トレセンができるまでは、スタッフ一同各地を移動しながらの開催であった。そのホッカイドウ競馬も1992年から赤字となり、2年後の1994年には単年度で20億円、累積で24億円の赤字を計上する。対策として道は1997年を最後に岩見沢、帯広、函館での開催を休止し、新たに門別トレセンを競馬場として使用して3場開催とすることを決めた。この時点で事実上岩見沢競馬場は、ばんえい専用の競馬場となる。

平地競争終了から9年後の2006年、ばんえい競馬の廃止が決まった。
ばんえい競馬も平地同様赤字が続き、まずは旭川市と北見市が撤退を表明、岩見沢と帯広の2市開催を検討するが実現には至らなかった。
岩見沢はすでに同年度のプログラムを終了しており、競馬場に馬が戻ってくることはなかった。100年以上続いた岩見沢の競馬は、こうして幕を閉じる。


競馬場は市街地から少し離れた高台にある。南西にゴミ処理場があり、残飯を狙ってはカラスがやってくる。4コーナー側の林には奴らのねぐらがあるようで、集団でじっとしているかと思えば、一斉に飛び立って競馬場の上空を舞いだしたりする。カラス軍団はおよばずながら岩見沢競馬場の象徴だった。

岩見沢は市街地に場外発売所があるため、ばんえい撤退以降競馬場は場外としても使われていない。そとから覗くとスタンドも監視塔も残ってはいるが、廃屋の雰囲気が漂っている。ばんえいは夏、岩見沢開催だった。リュックを抱えた観光客も大勢やってきた。今はその面影もない。

裏手の日の出団地側に廻ってみる。
厩舎が見えると聞いたので、コースの向う正面裏手あたりに来たが、何も無い。きれいに無いから場所が違うのか、もしくは早々に撤去されたのか。
なぞは解けぬまま競馬場のほうを見るとカラスが舞っていた。コースは高台にあるのでこちら側からは見えないが、おそらく4コーナーあたりだろう。奴らはまだ休止も撤退もしていないのだ。


ホッカイドウ競馬は2009年度からの旭川開催中止を表明している。設備老朽化による維持費や改修費用を単独では負担できないことが理由のひとつとなっている。「単独」とはばんえいと折半できなくなった今では、という意味だ。2010年までに赤字脱却がかなわなければ廃止される可能性が高い。道内の競馬場が次々と消えていくのは寂しいが、これも対策のひとつというのであればやむを得ない。ホッカイドウ競馬の衰退は競馬の衰退に直結する。なんとしても黒字化を達成し、競馬文化を継承してほしい。

岩見沢競馬場の場所
道路から覗く馬場
 道路から覗く ゴールの監視塔がある
競馬場上空を舞うカラス
 競馬場上空を舞うカラス
岩見沢駅のばんば
岩見沢駅のばんば こちらは健在
厩舎跡地?
厩舎跡地? ここだと聞いたのだが・・・




北見競馬場に行く 2008年8月22日(金)


北見競馬場の略歴
1928年(S3) 女満別競馬場で北見畜産組合による競馬開催
1932年(S7) 競馬場が現北見市上常呂に移転
1947年(S22) 北見市東陵町に競馬場新設
1948年(S23) 道営競馬(平地)開始
1951年(S26) 道営競馬(ばんえい)開始
1953年(S28) 市営競馬開始
1957年(S32) 平地競馬廃止
1974年(S49) 競馬場が北見市若松(現在地)に移転
2006年(S11) ばんえい競馬休止


北見競馬場の場所 網走地区の競馬開催は1928年(昭和3年)女満別競馬場から始まり、4年後に北見に移る。当初は平地競走も行われていたが、1956年(昭和31年)に道営、翌年に市営の平地競走が廃止され、北見では永らくばんえい競馬のみを開催してきた。

北見競馬場は北見市の市街地から南に下った若松という地域にある。
現在は、ばんえい競馬をはじめホッカイドウ競馬、南関東競馬などの場外発売所として利用されている。

競馬場に到着し、入場門をくぐるとスタンドが現れた。築30年を越え老朽化も目立つが、まだ風格はある。この日はばんえい十勝の場外発売で、1Rは15時ちょうどの発走だ。まだ時間はあるので外に出てみると、北見の青空のもとゴール板と着順表示板があった。障害もそのまま残っている。少し嬉しくなった。
平地競走は行われたことがないのに1000メートルのトラックもある。2004年の改正まで、開催の条件として法令で定めたれていたためだ。


ばんえい競馬は、市営競馬組合により、旭川、岩見沢、北見、帯広の順で開催されていた。ピークの1991年には年間322億円を売り上げたが、1998年から赤字が続く。2005年からの経営再建5ヵ年計画は、初年度から7億円の赤字を出し失敗に終わる。
2006年10月、北見市と旭川市は撤退を表明、帯広市と岩見沢市の2市開催を検討するも、岩見沢市が断念、存続に積極的だった帯広市も単独開催は不可能として、翌月11月27日、存続断念が発表された。この日は北見開催の最終日であった。

「雪が降って冬になればまた帯広にやってくる。帯広にばんばがやってくれば春になるまで大将のそばにいられる」
存続断念を発表した年の5月に公開された映画「雪に願うこと」の中で、帯広に戻って来たばんえい競馬の調教師(佐藤浩市)に、賄い婦役の小泉今日子が言うセリフだ。
2006年12月、ばんえい競馬は最後の開催となるその帯広に移る。この間にソフトバンクグループなどが支援を表明し、帯広市は廃止から一転して単独開催を決めた。
北見を出たばんばは、とりあえず一命をとりとめたが、雪が融けても帯広を出ることはなかった。


レースが始まると少しずつ人が増えてきた。しかしほとんどがご老人だ。年金生活をされているようなご老人ばかりが次々とやってくる。2Rが終わったあたりで200人を越えていた。
昭和初期の北海道では、農耕をはじめ物資の運搬を馬に頼っていた。当時を生きた人たちにはばんば競走は身近なものだ。彼らがばんえい競馬を支えて来たのは間違いないが、次の世代をうまく取り込めなかったことも衰退の原因のひとつだったのでは、と思わせる。

開放されている売場は館内の1階のみ。10くらいしか開いていない窓口にほとんど列はできないので「空いている」の部類だが、閑散という感じではない。ガラス越しにスタンド裏側を見ると、「ファンルームは老朽化のため使用中止」と張り紙のある建物があった。開催時にはあそこにもご老人が集合していたのだろう。
帯広市と委託先のOPBMは市街地から遠いことを理由に北見場外発売所の移転を検討している。寂しさもあるが、移転するのであれば若者もやってくる場外を目指してほしいものだ。


バスの時間の関係で、第3Rが終わったところで競馬場を出た。
バス停に着くと帽子をかぶったご老人が1人居た。当たり馬券を換金して、また馬券を買って帰るところだと言う。「バスは運転手しか乗ってないよ」とご老人の言うとおり、客の居ないバスが来た。「ばんばは目の前で見るのが一番」とか「昭和10年生まれ」だとか、ご老人の話を聞きながら、運転手を含めて3人だけのバスは北見駅に着いた。

ちほく高原鉄道の廃止や百貨店の撤退など、マイナスイメージの事象が続く北見だが、繁華街もにぎやかで宿泊施設も多く、オホーツクの中核都市として、まだまだ活気を失ってはいない。夏の空は澄みきって、とてもきれいだった。
帯広に旅立ったばんえい競馬は二度と北見に戻ることはないのだろうか。興行として成功を収め、ばんば競走の人気が高まれば、いつかばんばが北見に戻ってくる日が来ると思う。そのときにはもう一度北見を訪ねたい。ばんばは目の前で見るのが一番なのだから。

競馬場(スタンド)
北見競馬場(場外発売所)
ゴール板
ゴール版と着順表示板
売場の様子
1R終了後の売場の様子
厩舎(健在)
帰り道から見える厩舎 まだ健在だ
売店
競馬場内の売店 そばもある








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